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宮崎アニメ『風立ちぬ』はダメだろ

風立ちぬ』冒頭で明かされるヒロインの結末 ジブリの難解作に込めた ...

 


二郎はズルい

宮崎監督も だからズルい

 

映画の中で 堀越二郎は全編を通じ現実と向き合わないし 宮崎駿は ”あの時代”を扱いながら ちゃっかり悲惨さから逃げているじゃないか。

二郎は あの時代にあってかなり裕福な身分である。
国民がみな「食う」ことに必死だった時代にあって 軽井沢の別荘が象徴するような 貴族的な特権を得た身分だ。
かつ優秀な頭脳を買われ 潤沢な国家予算を与えられ ゼロ戦の設計に没頭している。
そして何より 妻となった菜穂子に対し かなり薄情である点に驚く。
そんなこんな どうにも感情移入できないところ満載だ。

そうなんだよ 二郎は 現実を見ないし 矛盾に葛藤もしないし 一途な愛を貫くわけでもないんだよ。共感できないよな。

インタヴューで宮崎駿はこんな発言をしている。
「武器を作った人を映画にするのかと問われている。答えを出さなきゃいけない」
と。奥さんにもそう言われたらしいね。しかし 答え出すつもりもないんじゃないかな(実際出してないし 出せないもんな)。

 

二郎の設計しているのは人殺しの武器であること そこは全く描かれていない。結局のところね。
戦闘場面もないが 国家予算で死に向かう武器を造っているという罪の感覚も描かないんだ。ただ一ヵ所 仲間との会話の中で 自分らが受けている莫大な設計料で日本中の子どもが大勢助かる とは語っているが 単なる雑談で終わらせている(宮崎流エクスキューズ?)。
あの戦争で 国がどれほど国民の命をないがしろにしていたか。国民がこれだけ虐げられても尚 戦争を続けた大義 戦闘機を造る意味はどこにあったのか?

ゼロ戦」「桜花」その他特攻機に搭乗し "自爆"を義とした出撃でどれほど多くの若者が無残に散っていったか。
それを描かずしてあの戦闘機を語ってはいけないんだよ。

「あの時代 いかに生きたかが大事」
「懸命に生きたことを描く」
宮崎はこうも言ってはいるが どちらも描かれていないじゃないか。

 

二郎は "美しい飛行機をつくる"ことには没頭した。
たしかに優れたものはみな美しい。美術品でなくとも 機械でも道具でも 優れたものはみな美しい造形を持っている。二郎も 美しい飛行機を作りたかったのだろう。

しかし二郎の興味はそこだけ。
美しい飛行機づくりだけを夢見て 人殺しの武器であることには目をつむり 病床の妻でさえもそっちのけ。ましてや国民の惨状などは顧みるはずもなく 自分は潤沢な国家予算と富裕階級の暮らしを享受した。

それが映画の中の堀越二郎であり そんな貴族的世界を"憧れ的"に描いたのがこの映画なんだ。

 堀越が愛用したパナマ帽=2014年3月【時事通信社】

 

駅で 二郎と菜穂子が再会する感動の?シーン。
しかしどうだ! 二人とも 驚くほどファッショナブルじゃないか! お洒落なデザインとカラーコーディネイト。まるでヨーロッパの貴族だよ。しかも美男美女。
違和感あったなあ。周囲の貧しさからは完全に浮き立ってたよ。あれじゃむしろ罪悪だよな。軽井沢での別荘暮らしもそうだけど こういう点が 反感を刺激しているんだよな。
「懸命に生きたか」と言う点でも もちろんまったく違う。
あの時代「生きる」とは まず「食う」ことであったはずだよ。しかし二郎は「食う」苦労とは無縁の身分だった。「食う」心配がないんだから「懸命」になるはずもない。周囲が ただ「生きる」こと 「食う」ことだけに必死であった時代にあって 自分は優雅な暮らしをしていたんだから。

 

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飛行機設計に「没頭した」には違いなかろうが 「食う」心配もなく 知的でクールな作業なだけに 「懸命に生きた」ようには見えない。

「貧乏だったけど 情熱だけはほとばしる程あったよな」というような美しさがないんだよ。「生きる」切実さがないから 共感もないんだ。

 

宮崎駿は 風わたる風景を美しく描いている。これはお得意であり 確かに心地よい。
しかし美しくはあるが  どこかヨーロッパ風なのが引っかかる。宮崎駿らしいと言えば言えるが みすぼらしくない点リアリティがなく やっぱり共感できなかったな。
関東大震災 あるいは太平洋戦時のさ中 悲惨な光景も遠景でしか描かないからね。

群衆描写については 宮崎がスタッフに熱く語っている。
「この人たちは ただのどうでもいい人々ではないんだ!」
だから 一人ずつを丹念に描かなければいけないんだ! と。
確かに 群衆としての動きは詳細に描かれていて見事。この点いつもの宮崎アニメの真骨頂だね。

しかし肝心の “悲惨さ”が無い。みんな必死だったんだという。

シラケるのはこんな場面だ。
罹災した人々の大混乱の中 二郎がある女中さんを助けて背負ってあげるという "いい人ぶり"が描かれている。しかし 何のことはない その人は若くて可愛らしい女性。汚らしいオバアさんではないんだ。しかも軽症じゃないか。
周りにはもっと悲惨な状況があったはずなのに ちゃっかり可愛らし女性を助けてるんだよな。

トピックス展示「関東大震災空撮写真展」 | 横須賀市自然・人文博物館

 

いい人ぶるといえば 少年時代の二郎の「強きをくじき弱きを助ける正義の少年」という"絵にかいたような"エピソードが挿入される。

「君たち! やめ給えッ!」
キリっとカッコよくイジメに割って入る場面なんだが これがまさに"とってつけた"ようなシーンなんだ。なぜなら 二郎のキャラクターとして それ以外そのような正義感は描かれていないからね。まさに"とってつけた"んだよ。

 

菜穂子=上野で?別れた後 二郎を探し 発見したのは菜穂子。
(二郎も一度は菜穂子邸を見に行ってはいるが)
菜穂子=自分の醜い姿を二郎に見せまいと ひとりひっそり病院へ帰る。
二郎=それをいいことに その辛い現実を見ない。
菜穂子=ひとりで病院から抜け出し 二郎に会いにきたのも菜穂子。
二郎=それをただ受け入れただけ。自分から見舞いには行っていない。
二郎=菜穂子の枕元でたばこをぷかぷか吸っている。
自分から吸いたいとは言わず 菜穂子に「いい」と言わせて吸っている。これは優しさではなく 責任を背負わないズルさ。
菜穂子の療養費 誰が出してる? 二郎は引き受けていないぞ きっと。

それからこれは 後から他の人のブログで知って驚いたんだが 二郎と菜穂子の結婚初夜。「来て」と 菜緒子が二郎を誘ったんだと! (未確認)
エーッ! ヒキョーなヤツ!
菜穂子が自らの寿命を悟っていたから とか そして二郎はそんな菜穂子をいたわったから とか そういう意味だとしてもだ 結果的には こな大事な場面でさえも 二郎はただ受け入れただけだったのか! 
ズルいヤツだね どこまでも。
設計者としていくら優秀だったとしても許せないな!

二郎の声=二郎の葛藤のなさ、感動のなさを、素人の声(アニメ監督)を使うことで表現したかった? しかし逆に 素人の"棒読み"が主張し過ぎて 二郎の存在感の無さに合わせて "素人の声"だけが生々しく前面に押し出されてきてしまっている(邪魔)

飛行機のメカニカル音が人の声=宮崎流シャレ。アナログ的 アマチュア的な手作り感 色を出したかった? これはシャレとしてとてもいい。しかしこれも 擬音だけが突出してしまっている感が無きにしも非ず。

 

飛行機の完成に至る苦労  試行錯誤 つまり生みの苦しみが 描かれていないね。
ヨーロッパを廻って も描かれていないな。
まあ 時間の関係もあって仕方なかったのか。

しかしだよ。
飛行機が飛んだ感動がない!

子どもの頃からあれだけ夢見てきた自分の飛行機。
飛行機は堀越二郎そのものだろ? 
この物語の核をなすものじゃないか。
それがついに飛んだというのに 何の感動も描かれないってのはナゼ?
自己矛盾を抱えているから? ゼロ戦飛ばして 流石に感動できない? そりゃゼロ戦飛ばすとなると "自爆"のための出撃だからね。
でも 描かないってのも責任放棄だし 不自然で苦しい処理だよ。

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映画は 菜穂子の死を連想させる絵で終わらせている。
飛行機が飛んだ感動もなく
菜穂子の死への慟哭もなく
ワインを飲みに出かけてゆく!?

感動の押し売りはゴメンだけど これじゃあ反発しか沸かないよ。

 

(重要じゃないけど 全編たばこのシーンが異常に多いのも違和感強し。何故?)

 

 

紅の豚』は好きな映画だ。
あれも現実逃避には違いない。豚を隠れ蓑に現実から逃げているんだからね。
しかも 『でも、俺ってホントはかっこいいんだぜ』とニヒルを気取っている。裏返しのモダニズム。つまり「男の隠れ家」的な身勝手さに満ちている。しかし豚はフィクションだった。同じズルさを持ってはいるんだが そこが違う。

 

これまでの主人公たちには みな情熱 エネルギィがあったね。しかし二郎はあまりにも淡々としている。
それに何より これまでは基本 現実を描いていないのでよかったんだ。なのに『風立ちぬ』は 日本の現実。貧しく 悲惨だった現実だ。それを全部隠してしまって  美しい夢だけを描いている。
感情移入できないとか、反感があるとかいう評価は 武器であることを描いていないことよりも 二郎の身勝手さ(菜穂子に対してさえ薄情である点も大きい) それに裕福な主人公たちの浮世離れしたブルジョア的生き方にも違和感があるからだろう。
つまるところ 実在の人物を取り上げたのがそもそもの大失敗。周囲が心配した通り 宮崎駿は ファンタジーやエンターテインメントに徹していればよかったんだ。

"美しい飛行機"と"夢"だけの "架空の世界"に住んでいればよかったんだよな。
紅の豚』のように。

題材が違っちゃったな。
 

 

試写後の宮崎監督

「自分の映画で初めて泣いた」

...??? 理解不能

紅の豚 - スタジオジブリ|STUDIO GHIBLI