キラGトーク

音楽/車/鉄道ジオラマ/犬

ありがとう:いきものがかり

youtu.be

この歌詞は 全体的にムリヤリ感が出ていて嫌だな。ヒネリ過ぎてる。
まあ こんなことここでほざいたって 大ヒットしたんだから「お前なんかに言われても」って完全スルーだろうけどね。

『文学的に高尚なものにしたい』
『斬新な言葉遣いにしたい』
『ちょっとオシャレにしたい』
って 気張った感じに溢れてるじゃないか。しかし表現が稚拙だ。それに独り善がりでもある。ま 他の歌の歌詞もきっとそうなんだろうし 何よりヒットし続けてるんだからそっちが正解ってことではあるよ。

 

●「あなたを見つめるけど」

「見つめるけど」って 文章としてもしゃべりとしても なんか違和感あるんだよな。「見つめてるけど」「見つめているけど」じゃないか。
それに 「けど」のその後がないのもすごく落ち着かない感じが。『えッ 「けど」どうしたの?』ってね。気持ちが置いてけぼり食らっちゃうんだ。

「見つめる」という能動的に神経を集中した行為と つないでいる手が優しく受け止めてくれているという受け身の状態がそぐわない感じも妙な感覚。

まあ何にしても最近じゃ「メッチャうれしいんだけどォ」なんて 意味なく「けど」をつけるしゃべり方が普通だから これでもいいってことなのか。

●「繋がれた(右手は)」

受け身で表現してるのがとてもヘンだ。ふたりがつないでる手なんだから。相手が優しく繋いでくれているっていう受動的な状態を言いたいんだろうけど 自分らのつないだ手を客観視するのはへんだ。
「鎖に繋がれた犬」とか「親に手を引かれた子」とか「優しく置かれた手」という客観的な受け身表現はありだけどね。ここは「繋いだ」手 で十分だ。
でもこの人 この歌では何度もこの表現を使ってる。よっぽど気に入ってるんだろう。

●「誰よりも優しく」

これだと《これまで何人もの相手と手を繋いできたけど その中の誰よりも》ってニュアンスになっちゃうよね。これも違和感強い。「世界中の誰より...」っていう無邪気さとは違う。

●「苦笑い」

苦笑いじゃなくて 「照れ笑い」じゃないか?
「まぶしい朝」に「窓を開ける」ってシーンはきっと 《一晩いっしょに過ごした翌朝 目覚めてみたらなんとなく照れ臭くって...》っていうことなんじゃないか?
「苦笑い」って 《心中では苦々しく感じてるけど とりあえず笑ってゴマかす》ってときの笑い方だからね。
あえて常道をハズしたつもりなのかな。

●「あおぞらも...晴れ渡るように」って 元々晴れ渡っている空をあおぞらって言うんだよね? 
(「泣き空」って言葉はないけど まあそれは置いといて)

●「泣きあった日も」「彩(いろ) 咲かせて」ってのもムリしてるなあ。

●「おもいで=瞬間」の当て字?も。

●「輝き」は「抱く」んじゃなくて「放つ」んだよね。
ありふれたことなのに輝きを放っているようにみえる そう見えたり喜びを抱いたりするのは人の心の動きだ。事象が「抱く」わけじゃない。

●「かけがえのない手」を信じてる?

これも「かけがえのない手」とは言わないよね。かけがえのない相手との時間や関係。それを象徴しているのが「つないだ手」というわけだ。
それに
「かけがえのない手を」
「あなたとのこれからを」と並列させて
「信じてる」と繋げてるけど これも無理な省略だ。

 

とまあ全体的に "わかるけどヒネリ過ぎ" って歌だ。音楽とヴォーカルはキャッチ―なのに 歌詞をみてみたらダメじゃんっていう。
(ご本人は言葉の先駆者のつもりかもしれないね)

それにしても 力強く張りのあるヴォーカルと推進力のある音楽に惹かれたのに 歌詞の内容をみてみたらビックリ。受け身一辺倒の女性の純愛だった。それも儚くて可哀そうなくらい。それならそれでいいけど 音楽と歌詞がそぐわないよね。その点もすごく意外だったんだ。
主人公のこの女性は徹底的に受け身。「あたなの夢が」「ふたりの夢にかわっていた」なんて さり気なく言い換えてるけど ふたり=わたしだからね。ちょっとギョッとしたよ。

大ヒットした曲にケチつけてもしょうがないし ファンの間では(そして評論家?の間でも)きっと評価は高いんだろうから ただの遠吠えでしかないんだけどね。

 

 

でもアレンジはいい。オーケストレイションが気持ちいい。アレンジも自分らでやってるのかな。それともプロのアレンジャーなのか。王道のコード進行ではあるけど けっこうオシャレな響きが盛り込まれてる。