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(Cubase + Vocaloidによるコンピューターミュージック)
言わずと知れた "日本の歌" 『いい日旅立ち』
もはや『ふるさと』なんかと並びますかね 「日本の歌」と言っても過言ではないくらい人々の心に馴染んだんじゃないでしょうか。
都会で生まれ育った人間でも なぜか懐かしく感じてしまう郷愁って 何なんでしょうね。稲穂のなびく田園風景とか 潮騒の聞こえてきそうな海辺の景色とか。経験していないはずなのに切なさを感じさせるイメイジってあるんですね。(いや 原風景ったって千差万別。もっと薄汚い惨めな思いしか残ってないよって人も少なからずいるかも知れないが)
この曲は特に 国鉄の一大キャンペーンのイメージソングとしてテレビCMでもさんざん流れていましたね。しかもそれが何年にも亘って 何度も繰り返し取り上げられたという相乗効果で 日本の旅情にどっぷり浸ってしまう曲です(国鉄って何!?…)
それはそうと
これは「名曲」と言われています。
しかし実はこの詞 問題だらけのような気もするんです。ここまで人気で有名になってしまうと そんなこと声高に言えないのかなとも思いますが。
あるいは 『この良さがわからないなんて オマエの教養程度こそ低いだろ』と。
でもね 例えばこんな箇所。
●「過ぎ去りし日々の夢を 叫ぶとき」
直後に
「熱い胸をよぎる」と続くので
「叫ぶ」「熱い」というエネルギィのほとばしりはナントナク感じ取れますが ふと考えるとヘンだなと。
「過ぎ去りし」「夢」という柔らかな言葉に「叫ぶ」という激しい言葉をぶつけて印象付けていますが ヘン。
●「熱い胸をよぎる」もヘン。
「熱い思い」が 「胸をよぎる」ならわかりますが
「熱い胸」とは ? です。
無理に解釈すれば
「帰らぬ人たち」の"熱い思い"が "自分の胸"をよぎる。これならわからなくもないが それでもヘン。
●「岬のはずれに」
これも実はヘンでしょ。
「岬」って 「陸地のはずれ」のことですからね。
でもまあ 岬の突端と言って孤独を表現しているのだからよしとしましょうか。
それより
●はずれ「に」 じゃなく はずれ「で」ですよね。
「はすれに少年は魚釣り」 はヘン。
はずれ「に」魚釣りの少年... なら文としてはOKでしょうが。
「に」の方が「で」よりも 音が柔らかくてキレイなので 無理にそうしたのかな。
●「今から思い出をつくるため」も ヘン。
「今から・・・書くつもり」が文脈ですけど 「今から」と時を説明する意味がわからない。
●「思い出をつくるため」に「さよならと」書くのもヘン。
思い出は 時を経ていつしか積もるもの。
「さよならと書いたこと」がいつしか「思い出」になる。
現状の孤独感 過去への決別 明日への覚悟などの感情の表れとして「さよならと書く」 それが後になって思い返せば「思い出」になるんだから。
というように ナントナク心地よい言葉がそれらしく並んでいるので聞き流してしまいますが あらためて見てみると 詩的な単語をたくさんちりばめただけという感が否めません。飛躍 省略 倒置にも文法はある。
(こんなこと言えば 大ヒンシュクを買うこと必至でしょう。これだけヒットしたものを後から難くせ付けること自体ナンセンス 批判するだけなら楽だよな と)
●さて
このアレンジヴァージョンでは 全体的に発音がうまくいっていないんですね。
ナゼか 意図せず促音便になってしまう箇所が数か所発生してしまうんですよ。
「きッたの」「そッら~に」「あッつい」・・・
しっとりした曲想とは裏腹にぴょんぴょん跳ねてしまう。
思いつきで応急的に「母音」を挟んでみましたが しかしゴマカシ切れない箇所も残ります。
「父の教えてくれた」が 「おッしえて」になってしまうので 「お+お しえて」と挟んでみたところ 今度は「お~しえて」と間延びした感じになってしまうんですね。で また削って… う~ん ムズカしい。
また
●「砂に枯れ木で」の 「れ」が妙な音になってしまうのはナゼ?
●「つもり」の 「り」もヘン。
●ビブラートは なんとなくコツをつかめてきました。まだまだいま一つのところもありますが まあガマンできるレヴェルにはなってきたということです。この曲はビブラートの練習のために取り上げたという面もありましてね。その意味では現状 OKです。
●Stringsの扱いがまだまだヘタですね。クレッシェンド(デクレッシェンド)がうまくない。弦楽器特有の減衰がうまく表現できないんですよね。これもムズカシイ。