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ペリカン M800 - Italic Broad

PELIKAN
SOUVERAN M800
”Italic Broad”
 

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”縦に太く 横に細い” 
 
このペンはそういう線が書ける。
この一点で 私はもっぱらこれを愛用している(もっとも 文章はほとんどPCで書いているので 手書きするのは「自著」として署名する程度。だから字はヘタクソ。なのに万年筆? もう趣味の範疇だね)
 
縦横の線の太さが違うということは メリハリのある コントラストのくっきりした字が書けるということだ。そしてそのために選んだペンなので まあまあ気に入ってはいる。しかし不満もある。
 
まずデザイン

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上下端がカットされたような形状(ベスト型)である点が 好みではない。
さらに
太さも もう一回り太い方がいい。
重さも もう少しほしい。
太さ重さとも どことなく心もとないのだ。
長さも キャップをしないで書くとすれば もう少し長い方がいいんだが。
 
え? じゃあ何が良くて?
 
そう ”縦に太く 横に細い”文字が書けるから。これに尽きる。
Pelikan M800 Italic Writing / ペリカン M800 イタリック ...

 また同種の万年筆(ペン先)の中では これが最も太く 書きやすい。
醸し出す雰囲気が上質である点もあるが 品格の高さなら他にもあまたある。要するに現状 自分の選択要件をもっとも高い水準で満たしているのが コレということだ。
 
 
【ペン先】

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さて
日本で俗に「ミュージック」と呼ばれるこのペン先。
普通に持って縦に下せば太く書け 横へ引けば細く書けるようにできている。国産各社ラインナップには この種の万年筆が存在し 説明には「楽譜を書くのに適している」というようなことが書いてある。しかし適しているとは言いながら その実 かなり変則的な書き方をしなければならないようだ。
基本的に ペンは横向きにして持つ。つまり五線に対しペンを横=平行に構える。そのまま横へ引くと太い線が書ける。普通に「縦に持って縦に引く」と太い線が書けるというのを 「横に持って横へ引く」という変則的なことをするのだ(ナンのこっちゃ!?) これで ♪ のオタマの部分は横へ引いて太い線で 縦線は縦に下して細い線で書く。旗も同様 ペンは横のまま 太⇒細へ クニュっと払う。
うーん これが便利なのかどうか。
しかしなるほど楽器店へ行くと ペン先の平べったい 文字通り「譜面書き用」のペンも安く売っている。カリグラフィペンと同様の形状。要するに「太い線と細い線が書けますヨ」というペンなのだ。
しかし こと万年筆となると 今時それで音符を書く音楽家はいないだろから 「ミュージック」というネーミングは昔の名残そのままなんだろう。ただ 安くもないそんな万年筆が未だに生産し続けられていることに不思議な感じはする。
 
ところで
ペリカンのこれはミュージックとは謳っていない。
「 Italic Broad  」(Italic Writing)と称し ペン先に 「IB」 の刻印がある。
万年筆評価の部屋:究極の 【 Pelikan M850 】を組み上げた!

 イタリックというからには むろん音符ではなく ましてや漢字でもなく アルファベットをイタリック書体で書くためのペンというわけだ。 アルファベットの筆記体やカリグラフィ風な書体に向いている。現に販売サイトには 「カリグラフィー風の文字が書けます」とキャッチフレーズを載せているものもある。

 
万年筆に求める私の選択要件は以下であった。
 
”縦に太く横に細い”線の書けるもの。
ペン先の柔らかいもの。
ボディが太目であるもの。
色は黒いボディに金のリング。
そしてもう一つ
デザインはバランス型(上下端とも丸みを帯びたデザイン)
 
このPELIKANを入手するまで このような要件を求めてWebでさんざん調べまくったのはもちろん 店頭で試し書きしてみたり 実際にいくつか買って試してみたりもした。
そこでわかったこと。
 
この種の万年筆(ペン先=ミュージック)は 縦線の太さは 極太BBよりもわずかに太いということ(メーカーによる)
(Pelikanでは 以前は「BBB」というのもあったが その後生産を取りやめている。現在は「BB」まで)
 
ただ「極太」の縦線がちょうどよいといっても 横線も同じように太くなってしまうので 変化を表現するにはメリハリがつけづらい。
例えば パイロットの「カスタム漆」
見るからに太々としていて重厚感がある。
30号という大型のペン先をもっており これが頼もしく しかも柔らかい。
書ける線の太さも書き味もすこぶる良いのだ。
しかし
いかんせん 縦横線が同じ太さなのだ(当たり前。うーん残念)
スミ利のブログ カスタム・ウルシ万年筆

 

プラチナ「#3776 センチュリー ミュージック」
パイロット「カスタム742 ミュージック」
 
プラチナもパイロットも デザインはバランス型で好みだ。
しかし ボディが細身だったり短めだったり 書ける線の太さや滑らかさが今一つしっくりこなかったりという結果だった。

まあいろいろ 書き味がわずかにカリカリしたり ボディが細目だったり それに何より 肝心の太いはずの縦線がさほどではなかったり。

 
「カリグラフィペン」も数種類。
これは 日本語を書いても面白い文字が書ける。その意味でどれもおもしろかった。
中でも「Rotring ArtPen」はデザインもスマートで実に美しい。軽くてシャープでスタイリッシュ。しかし"万年筆"とは全く別のものだ。

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そうこうして見てゆく中で 「ペン先が最も柔らかいのはPelikan」  という評価があった。そして実際 書き心地が最も滑らかだった。
加えて 縦線の太さが最も太かった。
 
こうして得た結論がこれ Pelikanの"IB"だったというわけだ。
 
ただし冒頭述べたように 上下端がカットされたベスト型をしている。そもそもPelikanの「Souveran」はどれもバランス型ではなくこのスタイルを持っている。これがなんとも残念なところだ。
(これが好きという人もたくさんいるのだろうが)
 
 
 
 バランス型
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上下端とも丸みを帯びている。船型で言えばダブルエンダー。
 
 
ベスト型

Pelikanの「Souveran」

Inks | Styleforum

上下端がカットされたような形状。

 
 
 
ところで
インターネット上では 「ミュージック」「太字」に関する記事は 文房具屋の商品紹介ばかりでなく 個人のブログでも 写真つきで書いている人がけっこういた。そして当然だが そのどれもが微に入り細に亘り自分のこだわりを書き綴っている。
万年筆の記事そのものが 総量としては数が知れているとはいえ それでも 万年筆好きがこんなにいるとは知らなかったし 中でも 細字 中字が主流の万年筆の世界に 「太字好き」な人達が一定数いることも 「へえー」と意外だった。
 
 
【泉】
 
ここで ふと万年筆の起源を辿ってみると どうやら「これ」と決定づけられる一発はなかったようだ。各時代 各国 各人 様々な工夫をこらした筆記具が日夜開発され続けてきたからだ。
ただその中で面白いのは 19世紀初頭イングランドで開発されたものの中に その名も"Fountain Pen" =泉のペン というものがあった。そう 泉のようにどんどんインクが出てくるという意味だろう。
 
このネイミング お見事です。
それまで 文字を書くには葦ペンや羽ペンを使っていた。ペンを何度もインクに浸しながらコツコツ書き綴っていたのだ。音楽が頭の中でワンワン鳴り響いている音楽家とか 書きたいことが横溢する作家とかには さぞもどかしかったはずだ。
それからすれば 一度インクを入れさえすれば まさしく"湧き出る泉"のようにいつまでも書き続けられるなんて!
機能だけでも驚愕の文具であるうえ このネイミングはまた秀逸だった。現代においても 販売戦略で最も重要なのはキャッチ=ネイミングだが 19世紀 すでにそのセンスが発揮されていたとは それも驚きだ。もっとも 毛細管現象を利用したフローシステムの開発はアメリカのウォーターマンだったので 現代万年筆の基本型という点ではそっちだといえるかもしれない。
 
 
【普及】

そして だから 万年筆は瞬く間に世界中に普及し 特にビジネスやアカデミックな場では必須のツールとなった。研究者や学校の先生にとっては必須のツールだっただろうし 文豪は 愛用の万年筆で作品を生み出したはずだ(ヘミングウェイのパーカーは有名) 会社のエグゼクティブや政治家ともなると重要な書類にサインするために お気に入りの高級万年筆を持っていただろう。
 
万年筆コミュニティ 
 
日本人にとっても 筆と墨とすずりで数文字ずつ筆記していたことからすれば 驚くべき筆記具の出現だったはずだ。そして日本では"泉"の代わりに ”万年”書き続けられると謳った(ただし 1884年 丸善などで販売された当時は「針先泉筆」と やはり"泉"を使ったようだ。その後「萬年筆」となったが 「萬年」の名付け親には諸説あってはきりしない)
いずれにせよ 日本の各メイカーも並々ならぬ努力を積み重ねて製品開発に取り組んだ。そしてなんとか庶民に手の届く価格での量販にこぎつけると 一気に普及した。社会人なら(その証としても)誰もが持っていたのではないか。高校や大学の入学 就職のお祝いなど ”大人の階段”を前にした人への ちょっとした贈り物でもあったのだ(今でもその意味合いは残っている)
 
そんな万年筆も時代が下り 今ではとても特殊な もしかすると小中高生 さらには大学生でも存在すら知らない道具かもしれない。改まった手紙を書くとか ゆったり日記を書くとか ただ"書くことそのものを楽しむ"とか ごく限られた人たちにとっての たしなみのための道具 嗜好品 あるいは工芸品のような存在だ。
 
 
【太字】
 
字幅に話を戻そう。
万年筆で細字が主流なのは わざわざ万年筆を持つからには あの金属のペン先のもつ硬質な印象通り 多くの人はシャキっとした感触 襟を正した感覚を求めるからだろう。書いた字が端正に見えるし 書類を書くにも罫線に収まりやすい。
しかし万年筆好きにも様々なタイプがいる。太字好きの人たちは硬質感より 逆に 書き味として「ヌラヌラ感」とか「インクフローが潤沢」とか つまりボールペンにはない "ふくよかさ"を求めている人たちだと思う。実用とは離れて。
 
万年筆とは 今や奥深いマニアックな世界だ。
筆記具としてはほとんど存在意義の薄くなってしまった道具でありながら マニアにはマニアたる所以が強固にある。太字の存在価値も そういう世界ならではなのかもしれない。
万年筆を初めて手に取る人のほとんどは モノは試しと まずは無難に中庸を選ぶ。それでも興味を抱き始めると奥深い世界が広がっているので その深い森へと分け入ってゆくことになるのだ。
あれやこれやと いつの間にか何本も収集してしまう人。
インク選びの ”ど壺” にハマってしまう人。
紙との相性を試す人。
もっと重症化すると ペン先を自分で交換してしまう人。
果ては分解してしまうという人も。
そこまでいかずとも 万年筆を使い込んでゆくうち 普通の細字中字から踏み出して 『太字ってどうなんだ』 と興味を広げる人も出てくるというわけだ。
「最近 ミュージックという万年筆を知った」「なんだか面白い字が書ける」「文字を書くのがますます楽しくなりそう」などなど。
「太字」「極太」「ミュージック」 万年筆を楽しみで使っている人なら そうなる人がいても不思議ではない。それもまた楽しみ方の一つだということ。
 
 
【不便】
 
ただでさえ需要が激減してしまった万年筆。いきおい嗜好品や工芸品の方へ向かってしまった万年筆。その理由はただ一言 "不便"だからだ。
不便さにもいろいろある。
 
万年筆には 一般的にいってそれなりの「書き方」とか「持ち方」とかがある。そうしないと上手く書けないやり方が。
ペンはできるだけ柔らかく握った方が良いし ペン先は紙面と並行を保った方が良い。
書き出しの一文字目は掠れがちである。
力を入れすぎたりヒネったりすると ペン先が開いてしまい文字が掠れてしまうし 書くスピードが速すぎても同様 掠れることがある。
ペンを立て過ぎても寝かせすぎてもきれいに書けない・・・。
つまり ボールペンのように いつでもどう書いても同じように書けるというわけではないのだ。
 
更に そのペン特有の傾向というものもそれぞれにある(弱点も含めて)。
そのブランド全般の傾向もあれば 製品固有の”ウリ”とする特徴もある。これはデザインとともにユーザーにとっては好き嫌いの重要な要素となる。
「私は〇〇を長年愛用しているんだ。この・・・がいいんだよねえ」と。
 
加えて 工業製品でありながらそれぞれに個体差があるのだ! 出来不出来が⁉ これを万年筆ユーザーは 「当たり」とか「ハズレ」とか言って納得するしかない世界でもある。あまりクレームをつける人はいないのではないか。
 
そうは言っても困るのは 書き出しで掠れるとか 途中で掠れるとかいう状態。これはその人の書き癖のせいである場合もあるし 適切に使えていない場合もある。また インクフローがうまくいっていない機能的な問題の場合もある。
 
 
【ペン砥ぎ】
 
『趣味の文具箱 vol.18』_e0200879_13392261.jpg

そこで 「ペン砥ぎ」というワザ。
「砥ぎ師」というかどうか 万年筆のペン先を 好みに合わせて研いでくれる職人があちこちにいる。文房具屋などが主催する「ペンクリニック」なるものが 年に数回だが各地で開催されており 中には名人として名高い人もいる。
 『趣味の文具箱vol.22』_e0200879_13433424.jpg

この研ぎ師というのは 持ち主にとって書きやすいように ペン先を研ぎ直ししてくれる人たちだ。
依頼者が目の前で文字を書く。それを研ぎ師が観察する。 筆圧 ペンの傾き 書くスピードなど その依頼者の”書き癖”を見極め それにそのペン先の特徴を考慮しながらより良いペン先を研ぎ出してくれる。
 
 
【試し書き】
 
更に 入門者にとってやっかいなのは 万年筆の書き味というのは ペン先の特徴や状態だけでなく 厳密には紙質との相性もある点だ。
「万年筆」と「インク」と「紙」。
この組み合わせによって それぞれ結果が違ってしまうからやっかいだ。このことはあまり知られていない。
片岡義男に そんなエッセイ集があった)
 
万年筆売り場へ行くと どこでも「試し書き」というものができる。気になったペンを数本出してもらい それぞれ書き味を試す。欲しいものが決まっていない人にとって混乱は増すばかりで迷い悩む。『これもいいなあ・・・あれもいいなあ・・・』
あるいは 次なる物欲にとりつかれている人にとっても 楽しくも悩ましい時間だ。
 
試し書きはインターネットではできない。といって「ミュージック」にせよ「イタリックブロード」にせよ 特殊なペン先ゆえ 店へ行ったからといってモノがあるとは限らない。むしろない方が普通だ。「太字」「極太」まではあっても「イタリックブロード」はない。にもかかわらず 万年筆の売ってそうな文具店があれば つい寄ってしまっている(自分がすでに所有しているのに)。子どもがオモチャ売り場へ吸い寄せられるようなものだ。
 
神戸へ行ったついでに寄ったナガサワ。
関西では老舗の文具店であり 特に万年筆で有名だ。にぎやかな三宮本店には さすが万年筆のための専有スペイスが設けてあった。しかしそれでもPELIKANのイタリックブロードはなかった。かわりに PILOTの「カスタム漆」の誘惑にいたく惑わされてしまった。のっぺりとした漆に身を包んだ黒と朱が2本。太くて風格ある2本が陳列棚に並んでいた。握った感触も心地よく(いや 見た目とは裏腹に意外と軽かったが) 書き味もとても滑らかであった。「カスタム漆」にはミュージックのペン先はなく Bまでである。
しかし やはり線の太さが・・・。
ナガサワは 港の方の赤煉瓦倉庫にも店があった。岸壁の赤煉瓦倉庫というロケイションからして それだけでスペシャル感がするし カフェやその他の店もそのつもりの佇まいを見せていた。そちらにもイタリックブロードはなかったが ヴィンテイジものを多く飾った店構えは ちょっとした博物館のようで楽しめた。「神戸物語」なんて ナガサワオリジナルのインクもあって 場所柄 観光客向けにも若い女性向けにも万年筆アピールをしているようだった。
 
他の何でもそうだが 店舗を訪れるとき 初心者のうちは万年筆売り場そのものに気後れするかもしれない。単なる筆記具としてみればバカ高いわけだし だから気取ったディスプレイがしてあるし おまけに自分には経験も知識もない。いわば”完全アウェイ”である。
そもそも ろくに使うかどうかわかりもしないのに高価なのを どう折り合いつけるのだろうか。しかも実際使えば いろいろと煩わしいことが多いのだが そのわずらわしさはまだ実感できていない。というか気づいてさえいない。冷静な判断を迫られるまさに岐路でもあるのに よくわからないまま欲しい気持ちが先走ってしうのだ。初心のうちは判断基準も持っていないから尚更だ。その挙句(舞い上がったまま買ってしまい) 家に帰って使ってみてから『こんなハズじゃなかった』と後悔し 万年筆が嫌いになってしまう人もいるかもしれない。
 
完全アウェイとはこうだ。
店頭では まず当然「つけペン」となる点。
ペン先をインク壺にチョンとつけて使用する。これでは そのペンのインクフローが潤沢かどうかわからない。なにしろ 今インクをペン先にたっぷり付けたばかりなのだから。
次に 「試し書き用に出してくれる紙」である点。
この紙は 高級紙ではないが ペン書きに適したものが用意されている。
これで滑らかでないハズがない。
自宅では「付けペン」でもなく 「試し書き用の紙」でもないのだから これらを感覚の中で変換しながら判断しなければならない。入門者には無理だ。インクフローや紙質だなんて そもそもそんなこと知りもしない。
しかも"悪いことに" 目の前には「専門家のような」顔をした店員が 「いかがでしょうか」ってな顔つきでほほ笑んでいる。
ナゼか気後れしてしまい焦ってしまうんではないか。
店側に騙すつもりも脅すつもりもないだろうが なかなか居心地が悪かろう。
これが 完全アウェイだ。
 
 
【インク】
 
そしてインク。
初心者が最初に直面する不便さは インクの補充かもしれない。
"泉"であるはずの万年筆も 今となっては インクの補充はとてもメンドウなものだ。
「カートリッヂ式」なら手間いらずで便利だが 一方「吸い込み式」のものは ハッキリ言って不便だ。
手順やコツもあるし 手が汚れやすい。汚れた手は水道水では落ちない。しかも 本体にあるインクもインク壺にあるインクも 使用頻度が低く長期間経過すれば水分が蒸発し 質が変わってしまう。粘度が高まりペン先のインクが固着してしまうこともある。これまた慣れるまで入門者にとってはやっかいだ。
 
インクに関しては 最近とみに 各社からそれこそ色とりどりのカラーインクが売り出されている。元町(横浜)のItoyaでは なんとインクのブレンドをその場でしてくれる。カクテルバーのようにだ。
しかしのそ一方 有名万年筆メーカーでも「自社のインクでなければ故障した際に保証できません」 などという驚きの主張をしている会社もある。
 
 
ただそうは言うものの 現代社会において万年筆に便利さを求める人はいない。万年筆を"楽しみ"とする人なら これらの作業もまた"楽しい"はずだ。書くこと 書いた文字だけでなく そこへ至る道程を楽しむわけだから。
 
ペンとペン先とインクと紙と。やれやれ 万年筆とは かくも不便で不自由なものなればなり。
 
 
”文字はデザイン” だと私は思っている。筆で書く文字も 太い細い トメルハネルと デザインそのものだ。だから自分が書くなら タテヨコ太さの違う字の方がそれを表現しやすい。フェルトペンでも わざわざペン先が平べったいものを選んでいる。
 
万年筆には ”持つ喜び”がある。美しいモノ 気に入ったモノ。単なる所有欲 物欲なんだが。
「Rotring ArtPen」は 先に触れた通り 洗練されたシャープさがあり美しい。しかし軽やかさがウリなので重厚さはない。
他のカリグラフィー用のペンも それに特化した道具なので 書く面白味はあっても 姿の美しさはない。
「ふでDEまんねん」は 確かにおもしろい字は書けるが ペン先が異様にひん曲げてあり 道具としてこれも美しくない。また安っぽい。
 
 
 
私のPELIKANは 黒のボディに金のリング。何の変哲もない昔ながらのデザインだ。このブラックとゴールドの組み合わせが 落ち着いた上質さを控えめに表出している。(ペリカンといえば定番の縞柄。特に緑縞が人気だ。しかしあれの良さが分からないなあ。ボディの真ん中が縞模様になっていて それでいてキャップとお尻は黒。なぜあのようなデザインを考え付いたのか。私は好きではない)
 
万年筆を使う動機は "思い"だけだろう。
思いを満たす。思いを文字という形にしてみる。思いを残してみようか。文字となった思いは どんな風に映るか・・・
万年筆はもはやコミュニケイションツールではない。わざわざ万年筆で手紙を書く人もいるだろうが まさに自分を表現しているわけだ。ほとんど自己満足 自己完結の世界なんだと思う。
 
PELIKAN Souveran M800 ”Italic Broad”
不満もあるが この道具の醸し出す上品さとか奥ゆきのある佇まいとかが 私は好きだ。