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フィンランディア


https://youtu.be/_5kLV-VZgDM
『安かれ我が心よ』 讃美歌298

 

 

 

Finlandhia-Washi

『Finlandia』

交響詩
フィンランディア
作曲
ジャン・シベリウス
1899年

トロンボーン トランペット ホルン チューバなどのブラスセクションによる 轟音のような 唸り声のような 重厚かつ陰鬱なイントロ。何か大きなウネリが起りそうな予兆。やがてティンパニィなども加わり力強く勇壮な音楽が進む。

すると突然の静寂。
その中から 心洗われるような穏やかで かつ愁いを含んだオーボエが響き渡る。

フィンランディア』と言えばシベリウス シベリウスと言えば『フィンランディア
日本でもドヴォルザークの『新世界』(の一部)と並んで 北欧・東欧音楽の人気曲ですね(🎵と~き~や~まに~🎵)
そしてキリスト教世界では この曲の一部が 讃美歌(日本では298番「安かれわが心よ」)として親しまれています。

もちろん本国フィンランドでも〝第二の国歌〟と言われるほどに愛唱されているようです。
まずメロディが際立って美しい。
しかしそれだけではありません。フィンランドにとってこの曲は 民族意識の高揚や 国家独立を象徴する曲でもあるからです。

 

フィンランドは目覚める』Sibelius

【1899年】
作曲当時は 管弦楽組曲全8曲のうちの最終曲で 『フィンランドは目覚める』との題名がつけられていました。

≪新聞祭典≫という催し物において上演される歴史劇「古からの歩み」 その〝劇伴〟として作曲されたのが この管弦楽組曲でした。

原題は"Suomi Herää" (フィン語で "フィンランド=沼と湖の国" の意)

フィンランド(フィン人)はもともと長い間 他民族に支配され続ける歴史を歩んできました。
これが作曲された当時は ちょうど帝政ロシアの末期でしたが そのニコライⅡ世による圧政下にありました(ロシアの前のスウェーデンには実に600年! ロシアによる支配は19世紀初頭から始まり それはそのまま革命後のソ連によっても引き継がれる)。
政治 経済 言語 文化あらゆることが奪われる状況の中 民衆の間にはこれまでになく独立機運が高まってもいた時期です(この時期 「諸国民の春」などと言われるように ヨーロッパ全体がナショナリズムに沸き立っていた)

≪新聞祭典≫とは 新聞の廃刊という直接的言論弾圧に抗うため 新聞業界が主催したイヴェントであり この「古からの歩み」の内容も当然 民族の独立やアイデンティティを高らかに謳ったものでした。特にこの感動的な終曲『フィンランドは目覚める』が人々の心を奮い立たせるものだったわけです。
(フランス国歌の『ラ・マルセイエーズ』も革命歌ですね)

ところで
作曲直後のパリ万博でも演奏されましたが 題名は『フィンランディア』と変更しています。
これは あまりにも民族色の強いこの曲が為政者ロシアにとっては物騒なものなので その睨みから逃れるための方便でした(フィンランドは「大公国」であり 独立国家として認められていなかったため ”ロシアの一部”として万博に参加)。実際 その後演奏禁止命令を受けながらも この曲は題名を変えながら演奏され続けることになります。

 

『安かれ我が心よ』 
Be Still My Soul
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【1933年】
アメリカ プレスビテリアン派(長老派)が 公定讃美歌集「The Hymnal 1933」に編入したい旨申し入れをし シベリウスがこれを許可。以降 讃美歌としてアメリカで急速に広まっていったようです。

ただし これには元となった讃美歌(歌詞)が 先行してありました。
ドイツの修道女 カタリーナ・A・D・フォン・シュレーゲル(18世紀/ドイツ福音教会)が作詞した讃美歌がそれですが いったいどんな旋律で歌われていたのでしょうか(もちろん『フィンランディア』ではありませんから)。

 

フィンランディア賛歌』

【1941年】
ヴェイッコ・アンテロ・コスケンニエミが 先の「フィンランドは目覚める」に詩を書き シベリウス自身が合唱用に編曲したもの。

「おおスオミ お前の夜明けだ」
「お前を脅かす夜は遠くへ追い払われ」
「朝の光が闇の力に打ち勝ち」
「祖国よ」
「さあ立ち上がれ」
「お前は世界に示した。他民族による支配を跳ね除けたことを」
「圧政に屈しなかったことを」

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歌詞は このように勇壮で猛々しく 民族を誇り鼓舞する内容です。この頃は ようやくにして国家として独立してはいたものの フィンランドでは依然としてスターリンソ連による侵略(戦争)が続いていたのです。
讃美歌『安かれ我が心よ』とは全く趣を異にしていますね。

 

さて
これまで見てきたように 『フィンランティア』は 長きに亘り他民族に抑圧され虐げられてきたフィン民族の持つ悲哀や悲願が 生命力の芯の強さとして その極上の音楽の中に息づいているのだと言えます。

 

おまけ・・・

フィンランドと言えば金髪碧眼の白人というイメージですが 意外や 遺伝学的には 父系を北アジアモンゴロイドの系統に持っているんだとか。それがシベリア経由でヨーロッパまで分布を広げた。そしてスウェーデン人による北方十字軍に征服されて以降 キリスト教化されヨーロッパ世界に組み込まれたのだと(フムフム・・・ するとあれですよ ムーミンもサンタクロースも我々日本人とルーツを同じくするということになりますよ・・・)

もうひとつ

"Jean" の読みについて
シベリウスについて 資料によっては「ヤン」と表記しているものもあります。しかしご本人は「ジャン」と称していたようです。
というのも 家で家族からは「Janne=ヤンネ」と呼ばれていたそうですが シベリウス自身が学生時代 フランス語風の「ジャン」という呼び名を選んだのだとか。これは貿易商をしていた叔父がそう自称していたものを譲り受けたということです。
そうですね つまり〝外国語風〟の呼び名を使って ちょっとカッコつけたってわけですね。真面目そうな?シベリウスですが こんな罪のない気取りもあったというのがおもしろい。

そうそう 気取りと言えばモーツアルトもね 楽譜や手紙の署名にはイタリア風の「アマデーオ」や フランス風の「アマデ」を好んで使っていたんですね。当時音楽の本場は 特にオペラは圧倒的にイタリアでしたし おしゃれ度(文化程度)の高かったのはフランスでしたから やっぱり 箔をつけるというか カッコつけたんでしょう。
(「アマデウス」というのは 後年 出版社がモーツアルト全集を出版するにあたり引っ張り出した名称で これは商売上の販売戦略として ”ラテン語”を前面に押し出して権威づけしたってわけですね。やっぱりネイミングとかキャッチフレーズとかは 昔も今も営業のキモなんですよ)

それより モーツアルトと言えば何といっても そのハチャメチャぶりです。
音楽では天国的響きをシャボン玉の如く吹き出しておきながら 同時に品性では その俗っぽさ というよりひどく猥雑な言動をも撒き散らしていたというのが有名です。映画『アマデウス』でも幼稚で下品で厚顔でと それなりの表現がされていましたね。実際 特に下ネタが大好きだったようで 女性への手紙にも露骨な表現を連発していたというから 尋常ではありません。そう この辺り 天才なるが故の〝狂気〟〝歪んだ突出ぶり〟が かえって納得させられてしまほど異常なわけです。
(あれッ? 最後モーツアルトネタになってしまいました)

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