(コンピューターミュージック)
これは アレンジと言っても イントロや歌い方は坂本版をほゞなぞっています。
ただし ピアノには全面的に活躍させて。中村八大はジャズピアニストだったので 少しジャズっぽい弾き方にしてみたわけです。
(と言って ブルースっぽくもなってしまってますが)
日本だけじゃなく 世界でも大ヒットした「上を向いて歩こう」
もちろんいい曲には違いないでしょうが 欧米の人々へ 何がそんなに訴えたんでしょうかね。他にはこんな日本の歌は皆無なんですから。
まず歌詞でないことは確かですよね。
とすると やっぱりあの声と 独特の歌い方でしょうか。
♪ うへホ むフいて あるこゥ ウォウ ウォウ ウォウ...♪
このハフハフいう歌い方を 作詞の永六輔は最初叱りつけたらしいです。「そんな日本語はダメだ」とかなんとか。でもその後の大ヒットで謝ったんでしょうかね。「キュウちゃんゴメン」とかなんとか。
それにしても これがよくレコーティングで通ったなと不思議ではあります。今なら ありとあらゆる人が好き勝手な表現でSNS上に発信の場をもっていますが 1960年代の当時 日本の歌謡界にはこんな歌い方の歌手は誰もいなかったんでしょうし 作詞家が文句付けたわけだし しかもまだまだ駆け出しの歌手だったんでしょうし。坂本九がよっぽど強く主張したのか中村八大に先見の明があって支持したのか。その両方か。
それにもちろん音楽もステキですね。
メロディに加えて 軽いオシャレな伴奏。イントロからマリンバが心地よく弾む。あの伴奏はとてもオシャレですよね。
軽く 明るく 弾むような...
和音進行も気持ちイイ。メジャーとマイナーが交互に織り交ぜてあって。
バンド編成もシンプルです。途中トロンボーンがちょっとだけ鳴る感じがまたオシャレ。
きっと当時の日本の歌謡界からすれば 飛び抜けて斬新でポップな感じだったんじゃないでしょうか。
坂本九というと 当時ほとんど興味がなかった私にとっては ニコニコ笑顔のあか抜けない兄ちゃんという印象だったんですが 今調べてみると ロックンロール(当時は"ロカビリー")出身だったんですね! それもギターをぶっ壊したりするギンギンのロックンローラーだったんだと(ジミーヘンドリクスみたいなこと あんな時代にやってたんです!) 日劇ウェスタンカーニバルでは平尾昌晃とかミッキーカーチスとかのバックをやったり 自身新人賞を獲ったりもしたらしい。意外でした。
坂本九はですね 高校生の頃にはプレスリーの物まねが大得意で 仲間内では人気者だったそうなんです。そしてその勢いのまんま? 米軍立川基地の将校クラブで "Hound Dog" なんぞを歌ったんですと。米兵たちの前で 日本の高校生が プレスリーになりきって激しくシャウトし腰を振った。
♪ ユウェンナズバラハウンド~ ♪
きっとイントロからしてヤンヤの大喝采だったでしょうよ。目に浮かびますね。
そんなエピソードを後から知ると その後ヒットさせた歌の数々は確かにポップであったとは言え お茶の間の人気者 みんなの九ちゃん といったブランドイメージは 本意ではなかったのかなとも思いますが。
そして "SUKIYAKI"
ビルボードで3週連続 キャッシュボックスで4週連続1位を記録したというアメリカでの快挙はしかし 当時の日本人の理解を超えたものでした。レコード会社の人間でさえ「あまりにも遠い国の出来事で 実感がわかなかった」と述懐しているくらいに。
最初は イギリスのレコード会社社長が日本から持ち帰って インストゥルメント曲にアレンジして発売した。これは全英10位までは登ったというから そこそこ成功と言えるんでしょう。
その他フランスやベルギーなどでも日本語オリジナル版でそれなりのセールスはあったらしい。
そしてアメリカ。
地方ラジオ局のDJがたまたまイギリス盤SUKIYAKIを流したところ リスナーの高校生から「同じメロディの日本のレコードを持ってる」と反応があった。それが坂本九オリジナル版で こっちも紹介したところ これにティーンから火が付いた。日本語歌詞なんて分るはずもなく ましてやキャンペーンに乗っかったわけでもないのに アメリカの若者には響いたんですね。そしてアメリカ盤(坂本の日本語版)が発売されるや あっという間に全米ヒットチャートを駆け上がる大ヒトとなったというわけでした。
(2021年に至る今日まで こんな日本人アジア人は未だに現れていないんですから!)
こんなビッグヒットにもかかわらず 当時 当人たちでさえピンと来ていなかったというし マスコミを含めたほとんどの日本人にとっては 何がすごいのか理解できなかったんですね。たった60年前ですよ。やっぱり日本は島国だったんですねえ。
ところで上のレコード写真。
"SUKIYAKA" とあるのは誤植ではないらしいです。歌手の "SAKAMOTO" と韻を踏んだということのようなんですが 意味不明ですね。キャピトル本社の誰かが考え付いたと。しかしさすがにこれは 日本人の誰かのアドヴァイスによって発売時には "SUKIYAKI" と修正されたといいます。その意味ではかえって非常に貴重な写真ですよ。ただもっと言えば その時点で "SUKIYAKI" そのものは修正されなかったのかとの疑問もありますが それだけこの曲がすでに "SUKIYAKI" として認知されていたということも言えます。
(ベルギー オランダでのタイトルは「忘れえぬ芸者ベイビー」だった!)
何はともあれ そんな大ヒット曲をひっさげて勇躍渡米した坂本九は ニューヨーク市長やディズニーランド副社長などとも面会するほどのVIP待遇だったそうです。それもすごいですが それよりなんと クインシージョーンズとも面会していたということですから驚きです。ミュージシャン坂本九として これほどの栄誉があっただろうかと!
(この渡米はザ・ビートルズのアメリカ初上陸の1年前だった!)
子どもの頃からプレスリーの熱狂的ファンで マネっこが大得意だったとか ロカビリー出身だったとか そう言われてみれば あの独特の歌声や 所々でキュイッと声を裏にひっくり返したりハッと息を抜いたりする歌い方は まさにエルヴィスだったんですね。エルヴィスもよく声をひっくり返したり wordを延ばして...mahahaha...などとやってましたもんね。
もちろんエルヴィスだけじゃなく ニールセダカとかポールアンカとか 当時人気の若いアメリカンポップシンガーたちはそんな歌い方をしてましたよ。ニールセダカは『チューチュートレイン』 ポールアンカは『ダイアナ』
あの声を裏にひっくり返すのは "ヒーカップ唱法"と言われています。ヒーカップ=しゃっくり。う~ん確かに。
ヒーカップ唱法は クラシックの歌手は殆ど使わないし なんとなく下品な歌い方のような認識があると思うんですが オペラのベルカント唱法の中にも時々は聞かれますよ。例えば 感情を絞り出すようなときのテクニックとして微かに裏声を混ぜるんですね。
で話を戻すと 実はエリヴィスたちの先駆としてリトルリチャードがいました。
リトルリチャードは チャックベリーなんかと並んでロックンロール草創期にヒットを連発した歌手で 彼はもう "しゃっくり"のオンパレードという歌い方でした。『ルシール』なんかすごいです。初っ端から ♪ ルーシーヒェッ! ♪ と派手にやってましたもん。
そんなリトルリチャードに影響された歌手はそれこそワンサカいるわけで エルヴィスももちろんそう。そして ならばむろん坂本九もというわけですから アメリカの若者は そういうロックンロールのテイストを感じ取って飛びついたのかもしれません。
坂本九と言えばお茶の間の人気者というイメージしかなかったし そういう観点で聴いたことがなかったんですが 今になってみれば そうだったんですね。なるほどね。
極東の辺鄙な片田舎 その日本でプレスリーに憧れてシャウトしていた少年は まさに"アメリカのまんまん中"に迎え入れられたんです。スゴイですねえ! 坂本九恐るべし!